1. ケンサキイカとイカ男
結論を言ってしまうと、日本周辺で漁獲されるケンサキイカの多くは、台湾北部の東シナ海南部でふ化し、主に黒潮にのって移動してきているとイカ男は考えています。下に、おおざっぱな移動経路を書きました。
これを見ると、なんだ、海流を図示しただけじゃないか、と思われる方がいるかもしれませんが、まあ、実はそうなのです。いろいろな場所で漁獲されたケンサキイカを調べた結果、この流れに沿って移動してきたと考えると、いろいろなことが合理的に説明できるのですから、仕方がありません。実際この点で、生物学を中心に研究してきた人と、海洋学を中心にしてきた人とでは大きく意見が分かれることになります。前者にしてみれば、イカは生物なのだからもっと能動的に泳いでいるはずだと考えるし、後者は海流にのって移動するのはむしろ当然だというわけです。イカ男は、主に2つの方法によって、少なくともケンサキイカの場合、海流にのって移動すると考えた方がはるかに「現実」に近いという結論に達しました。このブログでは研究に用いたこの2つの方法について、おいおい紹介していくことになりますが、まずはケンサキイカとイカ男の関係について話をさせてください。
ケンサキイカというと活造りが有名で、最初は昭和36年に福岡市中洲の『河太郎』から始まったようです。その後、佐賀県の呼子(唐津市)周辺に同様のいけす料理屋が増えていきました。現在では、長崎県や福岡県、山口県、山陰の各県でよく見かけますね。イカ男は山育ちなので、呼子で初めて白くない、透明なイカを食べたときはとても感動しました。あれは昭和50年くらいだったと思います。当時はまだ流通が発達していなかったので、透明なイカは呼子の漁港周辺まで車でわざわざ食べに行かなければならなかったのです。
五島列島から対馬東水道(対馬海峡のうち対馬より東側)、山陰沿岸にかけては、冬場をのぞいてほぼ一年中、大皿サイズのケンサキイカが獲れます。このようなイカを、一杯いっぱい丁寧に釣りあげて、朝いちばんで料亭の生簀に搬入しているのですから、単価はもちろん高くなります。これが観光業と結びついてひとつの産業になっているのですね。だから、平成になってケンサキイカの漁獲量が減ったとき、漁業者はたいへん困りました。国や県の研究機関、大学が連携して東シナ海や対馬東水道、山陰沖を調査したのですが、その原因はよく分かりませんでした。
イカ男は平成22年頃から本格的にケンサキイカの研究を始めたのですが、当時ケンサキイカについての知識はほとんどなく、命じられるままに担当になりました。公務員の研究者とはだいたいこんなもんです。とにもかくにも、春に獲れる「ケンサキ型」のケンサキイカが特に激減したので、急いでその原因を調べる必要がありました。ところが、イカ男は野外調査が苦手で、しかも釣りとかにもまったく興味がなかったので、内心無理無理とおもったのですが、当時の副所長から提案された研究方法で事態は一変しました。
- Yamaguchi T, Takayama K, Hirose N, Matsuyama M. The Sea of Amakusa playing the role of a distributor of swordtip squid (Uroteuthis edulis) migrating from the East China Sea to the east and west sides of Japan. Fisheries Research 225, 105475, 2020.
- 水産庁「我が国周辺水域の漁業資源評価」 令和3年度資源評価結果 (fra.go.jp)
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