8. フィリピンで日本の近未来を考えた

2023年になって、2月5月にイカ類の調査・研究のためフィリピンを訪れる機会がありました。どちらも滞在したのはルソン島北部の主要都市Tuguegaraoと北部沿岸の漁村です。

 

Tuguegaraoから漁村までは片道150㎞ほどあり、政府機関の公用車に同乗させていただきました。フィリピンのほとんどの道路がそうであるように、路面はコンクリート舗装なので表面が凸凹で、自動車はいつもガタガタ揺れます。しかも片側一車線なので、前を遅い車やトライシクル(三輪自動車)がいると、かなり無理をして追い越すこともしばしば。対向車と鼻先ですれ違ったことが何度もありました。もちろん、そのようなときは相手もスピードを落としたり、歩道側へ寄ってくれます。そのためか、歩道は比較的ひろくとってあります。というか、そもそも中央線や路側帯があいまいです。逆にいえば、歩行者は非常に危険な状態にあるということになります。また、フィリピンは雨が多く、また高温になることも知られています。なので、雨が降ると、路面は流れてくる泥でビチャビチャになり、天気が回復して自動車などが走ると土埃が舞い上がります。それでも、舗装してあればよいほうで、未舗装の道には落とし穴のような大きなくぼみがあり、ときどき舌を噛みそうになりました。

 

なぜ、フィリピンはアスファルト舗装ではなく、コンクリート舗装なのでしょうか。諸説あるようですが、やはり単純にコンクリート舗装のほうが簡単で安上がりだからのようです。砂や砂利、セメントと小さなコンクリートミキサーがあれば、舗装できます。そういえば、沿岸の漁村で小学低学年にみえる女の子が大人用のシャベルで海砂を麻袋に詰めていました。その袋の口を開けているのは、おそらく彼女の弟だったのでしょう。児童労働はほんとうにあるのだと実感しました。イカ男の勝手な考えですが、このような漁村では貧富の差が小さく、だれもが助け合いながら生活しているので、この程度でおさまっているけれど、マニラなどの都会ではもっと悲惨な境遇のなか、ゴミ拾いなどをしながら生きている子どもたちが大勢いるのではないかとおもいます。

 

閑話休題。ところが、フィリピンの道路を走っている自動車をみていると、意外に大型の高級車が多いことに気づきます。フィリピンの平均的家庭の所得は日本よりそうとう低いので、大型車を買えるのは少数のお金持ちか、よほど自動車が必要な人に限られるはずです。日本では主流の軽自動車や小型トラックは見かけません。なぜ、中の上レベルに属する国民でも買えそうな小型車がないのでしょうか。いろいろな理由があるとおもいますが、道路状況の悪さも理由のひとつなのではないでしょうか。こんな悪路では小型車ならダンパーやスプリング、サスペンションメンバーのいたみが相当に激しくなってしまいます。

 

そこでイカ男は、あらためて公共インフラ整備の必要性を強く感じました。

 

外務省のODA報告書よると、もともとフィリピンは、東南アジア諸国の中で比較的恵まれた経済条件のもとでの独立を果たした国のようです。第2次世界大戦前でもある程度産業が発展していて、独立当初にはアメリカからの投資移転もあって、東南アジアでは高い経済水準を保っていました。国連統計によっても1950年の1人あたり国民所得152ドルは日本より24%も高いものだったようです。しかし、1980年代になると独裁体制をめぐって政治混乱が続き、それによって引き起こされた外国投資の衰退・逃避、アメリカをはじめとする西側供与国の経済援助の削減などが重なって、経済の停滞が著しく、1984~85年には7%を超えるマイナス成長を記録するほどでした。1986年にマニラで生じた軍内部の反乱と、その支援に立ち上がった民衆と聖職者の直接的行動によって、強権的抑圧は拭い去られ民主体制が回復されましたが、同時に旧特権層の復活し、結果的に国民大衆の社会的経済的階層構成は変化しませんでした。1988~89年ごろは若干の成長があったものの、その後インフラ建設の遅れによる電力をはじめとする公共サービスの劣化が経済活動に甚大な打撃を与えました。さらに90年代はじめの自然災害の多発に苦しめられ、91年にはマイナス成長を示したほどでした。フィリピン経済が成長の勢いを取り戻したのは、ラモス政権による自由化政策がある程度の成長をみせた90年代半ばになってからで、その後は比較的順調な伸びをみせているようです。

 

このように、いったん国力が毀損され、他国からの資本投資や経済援助に頼るようになると、国内の供給能力が低下して、自国だけでは公共インフラを整備できない事態になります。その結果、インフラを利用する民間業者の活動は著しく制限されます。公共インフラを整備できるのは政府だけです。政府がインフラに投資しなくなると、短期的には影響がなくても、長期的には子や孫の世代に大きなダメージを与えます。老朽化してからでもいいじゃないか、と考える方がいるかもしれませんが、インフラを整備する人材やノウハウ、機械・機器などは企業の供給活動のなかで保持されるもので、需要がなければしだいに失われていきます。そして一度失われると、そう簡単に復活させることができません。

 

実際、日本は明治以来、膨大なコストとエネルギーをかけて殖産興業にはげみ、良くも悪くも数度にわたる戦争でそのレベルを高めた結果、戦後、高度経済成長をなしとげ、世界有数の経済大国になりました。しかし、いったん先進国になったからといって、油断してはいけません。長い世界史のなかには、スペインやポルトガル、イスラムやインド、中国大陸の帝国など、世界に冠たる地位につきながらも、その後さまざまな理由によって没落した国は多数あります。そのような大帝国ではなくとも、フィリピンにしろ、ベトナムやタイ、カンボジアなど東南アジアの国々も欧米列国に植民地化される前は、同時期の日本に比べてはるかに繁栄を謳歌していたときがあったのです。

 

イカ男が今いちばん心配しているは、南海トラフ巨大地震です。京都大学名誉教授の鎌田浩毅氏は「2035±5で必ず起こる」と指摘しています。これが当たっていれば、あと20年後にはほぼ発生しているはずです。さらに、この地震に連動して東海・東南海地震が発生する可能性があります。さらに、首都直下型地震も前後して起こるかもしれません。それらの影響をうけて、富士山が噴火する可能性もあります。こうなると、想像を絶する大惨事です。逆に考えると、日本が戦後80年間近く太平洋ベルトを中心として発展してきたのは、たまたま巨大な自然災害がなかったからかもしれません。

 

皆さんはショック・ドクトリンという言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは「天災、戦争、パニックによる混乱のどさくさに便乗して 新自由主義を導入する手法」で、ジャーナリストのナオミ・クラインが同名の著書で命名した概念です。ここで新自由主義とは、「国家インフラ資産(石油、不動産、水道など)を、外国資本へ自由に売却できる経済システム」のこと。このような事態が起こった事例として、2004年のインドネシア(スマトラ島沖地震)や2005年の米国(ハリケーン・カトリーナ)があげられています。もし近い将来、日本で巨大複合自然災害が発生したら、政府機関は機能停止、政治家をふくめ国民は思考停止になり、救援・援助を交換条件として外国からの自由な投資を許すことになるはずです。もちろん一時的には、そのような行為は非常にありがたいでしょう。しかし、全ての国々が真の善意で膨大なコストを払ってくれるはずがありません。他国をどこまで信じるか、どこまで頼るか、これは極めて深刻な問題です。実際に、米国政府は大正12年(1923年)の関東大震災のさい、救助隊のなかにスパイを紛れ込ませて派遣し、東京大空襲(1945年)の計画を作成したということです。

 

したがって、我が国は防災のため、可及的速やかに公共インフラ整備を進めなければなりません。自国を自国で守れる可能性があるのなら、万難を排してそれに取り組むべきです。時期をのがして後で悔やんでも、取り返しはつきません。歴史は一度きりの片道進行なのです。

 

  • 鎌田浩毅(2021)『首都直下地震と南海トラフ』エムディエヌコーポレーション(MdN新書)
  • ナオミ・クライン(2011)『ショック・ドクトリン 上下』岩波書店
  • 鈴木荘一(2023)『日本征服を狙ったアメリカの「オレンジ計画」と大正天皇』株式会社経営科学出版

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