7. 色気か食い気か

イカはどのくらい長生きするのでしょうか。図鑑などを読んだ方なら、「1年未満」とお答えになるかもしれません。もちろん、間違いではないのですが、水族館などで飼育した結果ではありません。イカ男が行ったように、平衡石の輪紋を数えて、経験的に知った結果です。つまり、輪紋数が365を超える個体がほとんどいなかったのですね。しかし、調べられた種のほとんどは、浅い海に生息するイカでした。ダイオウイカなどの深海にすむイカは、輪紋がはっきりしないため、正確な日齢はまだ分かっていません。しかし、1年以上はありそうです。また、調べられた個体の多くは、中緯度の海に生息するイカでした。中緯度は四季の変化が明瞭で、多くの生物は、春から夏にかけて水温が上昇する時期にふ化するようなサイクルで成熟と産卵を行います。さらに、イカのように外套が露出した頭足類が、一度成熟産卵して、さらに翌年か翌々年に再び成熟産卵をするというのは、体の構造上とても難しいように思えます。よって、一度産卵したら、そのまま斃死すると考えるのが妥当です。つまり、明瞭な四季の変化のある中緯度に生息する種のイカは、どこかのタイミングで一斉に成熟し、産卵したあとは死んでしまうので、その海域で再生産を繰り返していれば、1年よりやや短いくらいの寿命に収束するはずだ、とイカ男は考えます。

確かに、スルメイカは日本周辺の海域で一生を過ごしますから、上の説明でよいのですが、ケンサキイカの場合、イカ男が数えたかぎり、成熟している個体の日齢は180から280くらいまでばらついていました。実は、東南アジアの海域に生息するケンサキイカは、半年くらいで再生産を繰り返しているという話があります。あいにく、この話は伝聞で知っただけですが、長崎県の茂木湾には、約10㎝(外套背長)で成熟する個体が6月頃から出現します(Yamaguchi et al. 2022)。日齢を調べたところ、ふ化後半年程度でした。天草海に近い水深30mていどの茂木湾では、底層の水温も初夏になると常時18℃を超すようになります。つまり、前のブログでご説明した成熟できる環境条件がそろったので、急速に成熟が進んだと考えてよいでしょう。さらに、10㎝より小さい個体はおおよそ未成熟であることから、この辺りが最小成熟可能サイズ(日齢)とみなしてよさそうです。

天草海から茂木湾(Googleマップ)

成熟可能日齢に達して、ふ化に適当な水温の環境が整ったら、生体内の何かしらのスイッチが入って、成熟が始まると考えられます。このメカニズムは、哺乳類ではよく研究されていて、レプチンというホルモンがそのスイッチの一つです(Zhang et al. 1994)。レプチンが放出されると食欲が抑制され、また、思春期には脳の視床下部に働いて、性ホルモンの分泌を促進することによって、性成熟や生殖活動に重要な役割を果たします。つまり、食欲と性欲はトレードオフの関係にあるのです。考えてみれば当然で、繁殖のための体づくりには食べ物が必要で、それを得るには相応のコストがかかり、生殖と同時期に行うのは困難です。ただ通常は、前者が優先されるはずです。下世話な話になりますが、むかし、『東京いい店やれる店』というレストランのガイド本があったように、何事もお腹を満たしてからのようです。イカ類ではまだレプチンのような物質は確認されていないのですが、ケンサキイカの生態からみて、あってもおかしくないし、むしろ、なければおかしいと思います。

食欲と性欲のトレードオフ関係

したがって、オスのケンサキイカが大型化した理由は、東シナ海の大陸棚縁辺の黒潮流域(底層水温16~18℃以上)を移動中に成熟を開始したものの、男女海盆の海域で低水温にさらされた結果、色気よりも食い気が勝ったから、ということになります。オスは生殖行動をとるとき、他のオスと競合しますので、体が大きいことは有利に働きます。そう考えると、全体的に説明がつきそうです。では、メスの場合はどうでしょうか。実はオスとは少し違いました。その話はまた次回。

  • Yamaguchi T, Takayama K, Hirose N. Influence of migratory route on early maturation of swordtip squid, Uroteuthis edulis, caught off western Kyushu Island, Japan. Fisheries Research. 249, 106233, 2022.
  • Zhang YR, Proenca M, Maffei M, Barone L, Leopold L, Friedman JM. Positional cloning of the mouse obese gene and its human homologue. Nature. 372, 425– 432, 1994.
  • ホイチョイ・プロダクション『東京いい店やれる店』 小学館1994年

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