5. 若くも天才でもないので

私は以前、佐賀県の公務員だったので、「地方創生」や「町おこし」などといった事業に多少関わっていました。書店にはその手の書籍があふれていて、キーとなるのは『若者』、『よそ者』、『馬鹿者』などといったことを読みました。若者は新しいアプローチの方法を思いつくかもしれませんし、よそ者は他の町の情報を持ってきてくれる、ということです。馬鹿者は奇想天外なアイデアを思いついてくれるかもしれませんが、紙一重でしょうね。いずれにしても、問題を解決するためには、これまでとはまったく違う何かを試さないといけないという認識では一致しています。同じことを繰り返していただけでは、何も改善しないのです。

 

ケンちゃんサキちゃん(呼子のゆるキャラ)

 

科学の世界でもほぼ同じことが言えそうです。馬鹿者とは、つまり天才のことなのでしょうが、凡人であるイカ男には関係ないので、ここで言及するのはやめておきます。優秀な若い研究者が常に期待されるのは当然で、だから大学等の教育機関があります。ただし、若者の若者らしい向こう見ずな挑戦を受け入れてくれる研究室でないと、せっかくの卵をつぶしてしまいます。研究者には、既存の仮説に挑戦状を叩きつけ、それを更新することが求められているのですが、その最初の段階で、主流の仮説に関わった教授の講義やその仮説を説明した教科書、その仮説にそって設計された実験や演習などでその分野を学ぶことになります。つまり、高校を出たばかりの若者がこれらによって「洗脳」されるわけです。なので、その過程で何かしらの違和感をもち、自力で抜け出した者が本物の研究者として自立できます。しかしながら、現在の日本に、そのような異端者が安心して研究できる自由な環境があるかどうか少し心配です。

 

 

そこで、手っ取り早くこのような事態を改善しようと、よそ者を利用することになります。いわゆる学際的な研究です。分野横断的なプロジェクトなどと大げさでなくても、違う分野の専門家が数人あつまっただけでも十分可能なのではないでしょうか。

 

たとえば、私は水産資源を研究しているので、海洋学の専門家と共同して研究できれば、とてもいい結果が得られそうです。日本の周辺で獲れる魚の多くは、黒潮や対馬暖流、親潮にのって回遊してくると、皆さんは考えているのではないでしょうか。私もそう考えていましたし、今でもそう考えています。であれば、双方の研究者は相互に情報交換しながら、回遊魚を研究しているに違いないと思いますよね。ところが、現実はそうではないのです。

 

 

現在、回遊魚の研究者は、魚が自らの「意志」で適切な時期により良い海域へ移動するという仮定のもとで来遊モデルを作ろうとしています。あるふ化場所で大量の親魚が産卵し、成長した魚の一部が日本沿岸や沖合で漁獲されるという現象が毎年繰り返されていれば、渡り鳥と同じようにある種の行動原理にしたがっていると考えるのも当たり前かもしれません。ただし、そう考えると、海流の流れる方向とは逆向きに移動しなければならなかったり、海流の存在が邪魔になる場合が多いのです。また、海の状態は一昔前までほとんど水温よって評価されてきました。水温を測るのが一番簡単だからです。塩分もちょっとした測機があれば測定できますが、回遊魚の移動とはあまり関係なさそうです。したがって、魚の分布はもっぱら水温分布図によって説明されてきました。それが何十年も続いて膨大なデータとして集積され、また研究成果として発表されてきたので、それらを参考に、また引用論文として利用したほうが当然研究が楽です。よって、今さら海流がどう流れてどう影響しているかについて検討している暇はないのかもしれません。

 

とはいえ、現在の不漁をそのようなモデルで十分に説明できているとは思えません。それで若くもないイカ男は、温故知新的に海流との関係を考え直すことにしたのです。

 

 

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