15. ケンサキイカ漁獲の現代史

ケンサキイカの不漁が話題になって、長い年月が経ちました。しかし、不漁の中身は時代によって(まさに時代によって)違います。そこで、今回はその中身を少しまとめたいと思います。下の図はイカ男がイメージとして描いた3つの時代(昭和晩期平成令和(~現在))における季節と漁獲量の関係です。対馬東水道の代表として佐賀県、日本海沿岸の代表として山口県をあげていますが、漁獲量の増減は相対的なもので、実際の漁獲量は圧倒的に山口県が多いです。

佐賀県と山口県の漁獲量変化(イメージ)

最初の漁獲量減少は、時代が昭和から平成にかわる頃。ちょうどイカ男が就職する少し前です。それまで多少の変動はあるものの比較的順調に漁獲されていたケンサキイカが獲れなくなりました。減ったのは春から夏にとれる大型の個体。ここからケンサキイカの研究が本格的に始まったと言えます。

 

ただ、その代わりに、平成時代は秋の漁獲量が増えました。秋にとれるケンサキイカは、ブドウイカと呼ばれていて、以前は別種と記述されることもあったようですが、今ではミトコンドリアを用いたDNA分析で同種であることが確認されています(Takemoto et al. 2012)。このブドウイカは、佐賀県や長崎県、福岡県の漁場(対馬東水道)よりも日本海沿岸の山口県や島根県で漁獲されることが多く、日本海から西に漁場が広がっていくと考えられてきました。実際に、山口県の漁獲量をみると、昭和時代には春から夏と秋に2つのピークがあり、「2峰型」と呼ばれほど秋に漁獲されていました。一方、佐賀県は梅雨時期をピークとした「単峰型」でした。なので、6、7月の大型イカを観光の目玉にしていた佐賀県は大打撃をうけました。そのため、平成になると漁獲が増えた秋に観光客を呼び込もうと、毎年秋に呼子町で「いかまつり」が開催されるようになりました。しかし、しかし、平成の終わりから令和(現在)まで、秋も不漁になっています。このため、最近特に大問題になっているわけです。イカ男は現場を離れて3年になるので、現場のことはあまり詳しくないですが、おそらく盛期は夏で、しかも型は小さくなっているのではないかと思います。

「唐津市呼子町いかまつり」のポスター(令和元年)

昭和から平成にかけて起こった春イカの減少については、これまでさんざん春イカの特徴(ふ化場所や移動経路など)について話してきたので、あとは春イカの親がどのような状況にあるかを説明するだけになっています。秋イカの特徴をお話ししてからまとめて説明しますので、もうしばらくお待ちください。

 

秋イカ(ブドウイカ)は、ずっと前から年によって漁獲量の変動が激しいと言われてきました。一方、春と夏のイカは漁獲量が減った今でも、減った状態であまり増減はないようです。つまり、底をうった感じがあります。また、春と夏のイカは漁場が対馬東水道から日本海へと広がるのに対し、秋イカは逆です。どうやら秋イカは、同じケンサキイカとはいえ、春と夏のイカはと何かが違うようです。このあたりに秋イカの謎をとく手掛かりがあるのではないか、とイカ男は考えました。

  • Takemoto K, Yamashita M. 2012. Complete nucleotide sequences of mitochondrial DNA of long-finned squid Loligo edulis. Fisheries Science 78: 1031–1039.

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