26. 漁獲量減少の原因 その1
台湾北部でケンサキイカが本格的に漁獲されるようになったのは、1990年代。ちょうどそのころ、台湾では「日式○○」と呼ばれる日本ブームが起こっていました。特に和食が人気になり、多くの人たちが刺身を好んで食べるようになりました。もともと台湾周辺ではイカがたくさん獲れていたのですが、刺身にできるほど新鮮なイカを供給するシステムはありませんでした。もっぱら乾物や中華料理の具材として手荒に扱われていたのです。なので、その頃から品質を重視し、一杯いっぱい丁寧に釣りあげ、高い鮮度で消費者まで届ける、まさに日式がいっきに普及しました。刺身にできるほどのイカですから単価も高く、この海域の重要な水産物になりました。その結果、漁獲量が急上昇したのです。
しかし、漁獲量はすぐに減り始め、2000年代中頃にはさらなる不漁を危惧した台湾の政府が国立台湾海洋大学と資源調査を行うようになりました。下に台湾と日本のケンサキイカの漁獲量を示しています。両者の減少に明瞭な関係があるのが分かりますね。台湾では自分たちが過剰に漁獲したからだと思ったはずですが、日本ではそれまでと同じように操業していただけだったので、急な減少に驚きました。
前回までのイカ男の説明を読んできた方は、この日本の漁獲量減少の原因にピンときたのではないでしょうか。そうです。秋に産卵のために湧昇流の海域に集まってきたイカ(第2世代)を台湾北部で大量に漁獲したことによる影響だったのです。本来、このイカの子どもたち(第3世代)が次の年の春に日本周辺にやってくるはずでした。つまり、台湾北部沖での漁獲量増加によって、春から夏にかけて漁獲される大きなケンサキイカが減ったのです。といっても、台湾の漁業者を責めてはいけません。彼らは国際的に決められた海域(北緯27度以南)で操業していたにすぎないのですから、おそらく。
さらに、夏場は東シナ海の大陸棚縁辺に沿って南北に漁場が形成されます。これは人工衛星夜間画像を見れば明らかです。以前、台湾から福岡へ夜間飛行機で戻ったのですが、眼下に衛星画像とまったく同じ光景が見えて、あらためて驚かされました。このように集魚灯をもちいた大型漁船が多数操業していれば、特にイカを対象にしなくても、マアジやマサバと一緒にケンサキイカも漁獲されているはずです。であれば、第2世代のケンサキイカに限らず、第3世代、第4世代の個体も徐々に減っていき、資源全体がやせ細ってくるはずです。その結果、資源構造の骨格部分となる世代だけがきれいに見えるようになったのではないでしょうか。資源が痩せて、ようやく資源構造が分かってきたとは、なんとも皮肉な話ではあります。ある魚種の資源構造がよくわからないと嘆いている研究者がいたとしたら、それはその魚種の資源にまだ十分な筋肉や贅肉がついているからかもしれません。だとしたら、水産資源を利用する側としてはむしろ幸せなことでしょう。
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