3. 「大谷翔平」でなくても

前回紹介した海流の概念図には、だいぶん「ウソ」がありました。ごめんなさい。実は、海洋物理の研究者によると、陸上を川が流れるのとは異なり、海流は矢印で示せるような単純な流れ方はしていないのです。月平均や年平均をすれば、確かに矢印のようになるかもしれません。しかし、月平均気温がその月中続いたわけではないのと同様に、いま現在、たとえば対馬暖流が概念図のように流れているかといえば、まったくそうではありません。

水深50mの日平均流速(m/s)DREAMS_M

上に示しているのは、日本海南西部における2022年9月30日の日平均海流です。概念図のような明確な曲線状の海流は現れませんね。むしろ、至るところに渦が発生しているだけのようにみえます。研究者のなかには、誤解をまねくから、海流を矢印で表現することはやめた方がいいという方もいらっしゃいますが、一般的な説明をするには矢印が便利だし、旬平均や月平均にすると、たしかに曲線状の矢印になるから完全なウソとも言えないので、安易に使ってしまいます。ただ、これが頭に刷り込まれると、勘違いが生じるので注意が必要です。

 

さて、韓国東部の沖合、対馬海盆の海域を見てください。対馬海盆は、西にウルルン島、東に竹島がある海底海盆で、水深がふかく、すぐ南は大陸棚になっています。この海域は、西側は韓国のEEZで、東側は日韓暫定水域になっていて、漁業活動が盛んな場所です。その理由は、湧昇流がしばしば発生して深海から栄養塩が供給され、プランクトンが増殖し、小魚やイカ類などが成長する豊かな生態系が形成されているからです(Hyun et al. 2009)。東シナ海から大陸棚上を運ばれてくる海水は、光合成によって栄養塩が減少しているはずですから、栄養塩が供給される対馬海盆の海域は、いっしょに運ばれてきた生物にとってオアシスに違いありません(Zhanga et al. 2019, Shibano et al. 2019)。

対馬海盆周辺(Googlemap)

さらに対馬海盆では、韓国の研究者がウルルン渦とよぶ暖水渦と冷水渦がしばしば発生し、たいてい数か月間は消えません。先の図でも時計回り(暖水渦)や反時計回り(冷水渦)の流れが見えますね。これらの渦構造は長期間平均した場合、対馬暖流の第2分枝と第3分枝の間でおおむね相殺されてしまいます。

 

もし、対馬海峡から移動してきたスルメイカが対馬海盆のウルルン渦にトラップされたらどうでしょうか。餌が少ない本州沿岸に流されることなく、夏のあいだ豊かな生態系のなかで腹いっぱいに餌を食べて、大きく成長することができるでしょう。スルメイカは生産力の豊かな北太平洋亜寒帯海域(北海道周辺海域)で成長し、産卵のために南下回帰する、と多くの研究者は考えていますが、そのような遠方まで行かなくても、すぐ近くに十分に生産力が高い海域があったのです。むしろ、北海道周辺まで行ってしまったら、対馬暖流に逆らって泳いで来るうちにせっかく蓄えたエネルギーを使いつくしてしまうでしょう。それでは産卵まで体力がもちません。

 

もちろん、スルメイカにも個体差があるはずですから、オホーツク海まで行って戻ってくる個体がいるかもしれません。それは「大谷翔平」レベルのスルメイカであって、イカ男のようなスルメイカは対馬海盆までの往復で精一杯でしょう。つまり、イカ男の考えでは、産卵回帰する個体の多くは、対馬海盆で発生する渦構造で夏を過ごし、朝鮮半島南東部沿岸経由で対馬海峡にアプローチする、です。

  • J-H Hyun, D Kim, C-W Shin, J-H Noh, E-J Yang, J-S Mok, S-H Kim, H-C Kim, S Yoo (2009) Enhanced phytoplankton and bacterioplankton production coupled to coastal upwelling and an anticyclonic eddy in the Ulleung basin, East Sea. Aquatic Microbial Ecology 54: 45–54
  • J Zhanga, X Guob, L Zhao (2019) Tracing external sources of nutrients in the East China Sea and evaluating their contributions to primary production. Progress in Oceanography 176: 102122
  • R Shibano, A Morimoto, K Takayama, T Takikawa, M Ito (2019) Response of lower trophic ecosystem in the Japan Sea to horizontal nutrient flux change through the Tsushima Strait. Estuarine, Coastal and Shelf Science 229: 106386

Follow me!

3. 「大谷翔平」でなくても” に対して2件のコメントがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です