3. 経験水温の推定に着手
先日、EPMAという微量元素を測定する装置を使って、ホタルイカの平衡石に含まれるストロンチウムとカルシウムの比(Sr/Ca比)を核部から縁辺部へ線状にそれぞれ約50点分析しました。平衡石は10個だけでしたが、どの試料のSr/Ca比も夏季はやや低く、その後少しずつ高くなっていました。ホタルイカ平衡石の微量元素分析に関する知見をイカ男はまだ知らないのですが、他のイカ類の平衡石と同じようにSr/Ca比と経験水温に負の相関があるとすれば、ホタルイカは夏から冬にかけてだんだん低い水温を経験したことになります。その水温差は、本来は飼育試験などで確かめなければなりませんが、とりあえず他のイカの例から考えて、約3℃とイカ男は推定しておきます。
さて、試料にもちいたホタルイカは2023年2月に山陰沿岸の大陸棚で底引き網によって漁獲されたものでした。この時期の山陰沿岸の水温は、鉛直混合が起こって表層から底層までおおよそ均一化して高くても約13℃でした(DREAMS_M)。とすると、このホタルイカは夏季に約16℃の水温層がある海域にいたということになります。日本海沿岸で漁獲されるホタルイカの夏季の生息海域は日本海が定説ですので、この推測は妥当です。ただ、ここで問題になるのは、平衡石が毎日大きくなるとして、どの時間帯に形成されるかです。イカ男は、代謝が活発な夜間に形成されると考えます。ちょうど木の年輪と同じです。木は夏に成長し、成長した部分は白く見えます。冬はほとんど成長せず、年輪では黒く見えますね。イカの平衡石もおそらく、夜間イカが餌をつかまえて消化し同化する代謝活動に合わせて、形成されるのだと考えられます。
まるで我田引水なのですが、前回のブログで紹介した既存の知見から推定したホタルイカの好適水温範囲の上限も約16℃でした。ということは、材料として用いたイカもブログで紹介したような生活史をたどったという仮説が成り立ちます。さらに、平衡石のSr/Ca比から推定される稚イカ時の経験水温は約10℃ということになります。その時期の日本海沖合部、特に対馬海盆の水温が低かったため、経験水温も低かったのでしょう。春以降、対馬海盆の水温が全体的に上昇し始めるのは7月以降ですから、ホタルイカの寿命を約1年と考えると、一生のうちに経験した水温変化は下のように推定できます。バラつきが大きいのは、まとまった群れ行動ではなく、遊泳力が弱いため海流や潮汐流に依存してそれぞればらばらに移動して来たからだと考えられます。
しかし、上の仮説には大きな弱点が二つ残されています。一つはふ化日が分からないこと。これは前々回のブログでも言及しました。輪紋の計数は難しすぎてイカ男には無理そうです。もう一つは、Sr/Ca比と経験水温の定量的な関係です。つまり、Sr/Ca比の変化が水温何度分に相当するか。これは漁獲したてのホタルイカを飼育実験するのが最も手っ取り早いです。ケンサキイカではイカ男がやりました。しかし、コンディションのいいホタルイカを入手して、適切に飼育するのは相当に困難です。なので、平衡石が形成される数日の期間であってもホタルイカを飼育できる施設はごく少数でしょう。いつか共同で研究できることを期待しています。