12. 研究者の正義
ドナルド・トランプ氏が第47代アメリカ合衆国大統領として再就任した今年1月25日に、米中央情報局(CIA)は、新型コロナウイルスのパンデミックが武漢研究所(中華人民共和国武漢市)からの流出によって引き起こされた可能性が最も高いとの結論に至ったと発表。それを受けて、ホワイトハウスの報道官は同月31日に、「コロナウイルスは武漢研究所で発生した可能性が高く、検証可能な事実」とトランプ政権の見解を明らかにしました。パンデミック発生時からさまざまな噂があったにもかかわらず、明確な考えを示さなかった前政権が終了したとたん、手のひら返しする事態になっています。さすがは大統領制の国という感じです。
日本国民として日本に在住するイカ男(イカではありません)の記憶では、コロナウイルスが研究所由来であるという説はパンデミック発生時のきわめて早い時期に広まったにもかかわらず、その後メディア等で議論・考察されることは少なかったように思います。本来ならば歴史的な大事件になるはずなのに、なぜ調査・研究が進まないのかとても不思議でした。対象となるウイルスはただ同然で入手できるし、次世代シーケンサで分析して莫大な遺伝子データと照会すれば、議論するだけの情報はすぐに集まるはずです。それを世界中の学者や研究者が自由に討論をすればよいのです。しかし、どういうわけかそのような話は聞きませんでした。
筑波大学准教授の掛谷英紀氏の著書や動画をみると、このような状況が生じた理由が分かるような気がします。すなわち、もしコロナウイルスが研究所から流出したのだったら、今後ウイルスや細菌を用いた研究が著しく制限される可能性があるからだ、というのです。たしかに、世界保健機関(WHO)の推計によると、2020年 と2021年の 2 年間における直接または間接的に関連する全死亡は約 1,490 万人であるとされていて、20世紀初頭に発生したスペイン風邪の死亡者5,000万人以上には及ばないものの、これが人為的な起源となると、一部の関係者だけの責任ではすまされません。そこで、研究者が中心になって隠ぺい工作に走ったというのです。すべてが真実だとは信じたくないのですが、ありうる話だなあとは思います。
ごく一般的な人が思い描く研究者とは、ちょっと風変わりで世事にうとく、ひたすらに自然の真理を追い求める人物像ではないでしょうか。たとえばアインシュタインなど。しかし、伝記で読むようなこの種の人物は、少なくとも第二次世界大戦以降、ごく少数になったはずです。自然科学や科学技術の研究は、国家や巨大企業が多額の費用をかけて大規模に行うものになってしまい、個人の興味で行える研究はごく少数になったからです。華やかな先端研究に携わる研究者が地位や名誉を求めるのは当然として、一方、彼らにも養うべき家族があり、日々の生活費や将来への蓄えなど我々と同じ悩みや問題があります。業績をあげてポストを確実にしたい。そのためには、まず研究費を獲得しなければなりません。先端の研究をするためには適切な施設とともに、相応の研究費が必要です。運よく研究費を獲得して研究を始めても、期限までに成果を上げなければ、次はありません。研究者は多かれ少なかれこのようなストレスにさらされながら研究しているのです。
この件に比べるとずいぶん卑近な例になりますが、水産資源の分野でも首をかしげる見解が散見されます。たとえば近年資源量が減少しているスルメイカについて、それなりの研究機関や研究者が、高水温のため稚イカの生き残りが悪化したとか、クロマグロによる捕食が増えたとかの指摘を行っているのです。つい十数年前には低水温が生き残りを悪くするという話だったので、高水温にも弱いとすれば、スルメイカとはずいぶん脆弱な生物種になります。たしかに海面水温は上昇したかもしれませんが、少し潜れば0.5度くらいは低くなります。実際、台湾や南シナ海にもスルメイカは生息しています。また、日本周辺でクロマグロはいくらか増えて、しかもイカ類を捕食します。しかし、生物量の大小を考慮すると、クロマグロの増加が主要因とは考えられません。5年ほど前にイカ釣り漁師さんが酒の席で話していたのを記憶していますが、まさか研究者が言い出すとは思いませんでした。
あまりに卑近な例になってしまい、先端ウイルス研究と比較するには少々申し訳ない気がしますが、要するに、水産資源の研究者については、もっとまじめに研究すべきと言いたいのです。海水温が高いとか低いとか、他の生物種の増減を安易に結びつけるのは、素人にもできることです。それで因果関係が明確に説明できるのならともかく、そのレベルには達していないとイカ男には思えるのです。もし、それでもいいんだと考えているのであれば、正直クソですね。
- 掛谷 英紀『学者の暴走』 扶桑社新書(2021)
- 掛谷 英紀『学者の正義』 扶桑社新書(2023)