24. 国民国家の再生!
大航海時代(16〜17世紀)、ヨーロッパの国々が外の世界へと漕ぎ出し、アジアやアメリカを巻き込んで「世界のひとつ化」を進めました。これが人類史上最初のグローバライゼーションでした。特にスペイン・ポルトガルの海外進出では、「神(God)、栄光(Glory)、黄金(Gold)」の3つが合言葉でした。大航海時代のキリスト教布教は、現代でいう「文化のグローバル化」の原型でした。布教は単なる宗教活動ではなく、言語・教育・価値観・芸術様式の伝播を伴いました。その意味で、大航海時代は精神と物質の拡張が同時に進行した時代でした。つまり、布教・征服・交易が三位一体となって進められたのです。一方で、日本はその波に飲まれず、鎖国という独自の選択をしました。外の世界を拒絶したのではなく、むしろその「潮の流れの危うさ」を見抜いていたのだとイカ男は思います。結果として、日本は200年以上にわたり、グローバル経済の外側で独立した社会を維持しました。これは、ある意味で最も成功した“反グローバル戦略”だったのかもしれません。
同じころのヨーロッパでは、富の偏在と搾取の構造が拡大していました。グローバルな貿易と資本の流れが、王族や商人、金融資本家の懐を肥やす一方で、多くの民衆は貧困に苦しんでいました。この不均衡がやがて爆発し、フランス革命やアメリカ独立を引き起こしたのです。つまり、グローバル経済の行き過ぎが、「自分たちの国を自分たちで動かしたい」という思いにつながり、それが国民国家の誕生を促したのです。国民国家とは、単なる政治制度ではありません。それは、歴史・伝統・言語・文化を共有する人々が、「私たちは同じ共同体だ」と信じることによって成り立つ仕組みです。社会学者ベネディクト・アンダーソンはこれを「想像の共同体」と呼びました。つまり、国民国家とは“共同幻想”なのです。しかし、イカ男は思います。たとえ幻想であっても、それは決して無意味ではありません。その「思い込み」があるからこそ、私たちは見知らぬ人のために行動したり、災害のときに団結して助け合ったりすることができます。共同幻想こそが、社会をひとつに保つ「心の接着剤」なのです。
18世紀半ば以降、イギリスでおこった産業革命による大量生産・大量貿易によって第2次グローバリゼーションが進行し、全世界が経済的に結びつく過程で、資本主義列強の競争が激化しました。東アジアでは、アヘン戦争をきっかけに地域秩序が崩れ、西洋の「自由貿易」という名の波が東へ押し寄せました。その波はやがて日本にも届き、ペリー来航を経て開国に至りました。こうして日本も、世界経済の大海原に漕ぎ出したのです。明治維新は、その強制的グローバル化に対する日本の知恵と反応でした。それは西洋列強に追いつき、追い越そうとする近代国家の誕生でした。このような植民地獲得競争と民族主義の衝突が世界中で勃発し、最終的に 第一次世界大戦や第二次世界大戦につながったと、多くの歴史家は見ています。
2つの世界大戦後、帝国主義的な「不平等なグローバル秩序」への反発と植民地支配の反省から、多くの発展途上国が独立しました。国際連合体制のもとで、「民族自決」「国家主権」が尊重されるようになったからです。実際、国民国家の普及が最も進んだ時代でした。しかし、ソビエトの崩壊(1991年)により、資本主義が地球規模で支配的になり、 金融自由化・情報革命・多国籍企業の拡大しました。結果として、国家の経済的独立が弱まり、市場と企業ネットワークが国境を越えて行動することになり、 政府が通貨・労働・情報を完全に統制できない時代へと移行しました。
現代のグローバリゼーションでは、いったい誰が得をしているのでしょうか。多くの人が思い浮かべるのは資本家です。確かに、多国籍企業や金融資本家は、世界中から安い労働力や資源を集め、最大限の利益を上げています。しかし、その裏では政治家や官僚、国際機関のエリートたちも静かに利益を得ています。彼らは政策・貿易協定・金融制度などを通して、世界経済の流れそのものをデザインしているのです。自由貿易、外資導入、金融の自由化――どれも「国のため」に見えますが、実際には一部の政治・経済エリートにとって都合の良い仕組みであることが少なくありません。天下りや顧問ポスト、コンサル契約など、こうした“静かな報酬”が、この世界の潮流の下で動いているのです。このような構造を象徴する言葉が、ディープステート(Deep State)です。もともとはトルコ政治から生まれた概念で、選挙で選ばれた政府の背後にある、官僚や軍、情報機関などの“実権層”を指します。現代では、より広い意味で、国境を越えて政策や経済を動かす「見えない舵取り」を指すようになりました。IMF、世界銀行、WTOなどの国際機関、外資系金融企業、各国の財務官僚や中央銀行幹部――こうした人々がつくるネットワークは、国民が選んでいない“もうひとつの国家”のような存在になっています。これが、現代の「グローバル・ディープステート」とも呼べる構造です。
グローバル化というと、多くの人は「資本主義による市場拡大」を思い浮かべます。しかし、19世紀以降の世界にはもうひとつの潮流、共産主義による“反資本主義的グローバリゼーション”が存在しました。カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが唱えた共産主義のスローガンは有名です。「万国の労働者よ、団結せよ!」 これは国家や民族を超えた労働者の国際的な連帯を呼びかけるもので、まさに思想のグローバル化そのものでした。1917年のロシア革命後、ソビエト連邦は「共産主義を世界に広める」ことを使命としました。コムンテルン(共産主義インターナショナル)は、各国の共産党を支援し、思想・資金・情報を通じて国境を越えた運動を展開しました。資本主義が「自由貿易と市場」で世界を一体化させたのに対し、共産主義は「革命と平等」という理念で世界を結ぼうとしたのです。ソ連が崩壊したとき、世界は共産主義の終焉を祝福しました。しかし、冷戦後の世界を見ると、共産主義が完全に消えたわけではありません。むしろ、資本主義の中にその思想の一部が取り込まれていったのです。たとえば、中国は「共産党支配+市場経済」という新しいハイブリッド型国家をつくり、国家主導でグローバル化を進めています。また、EUは「国民国家を超えた統合」を進め、自由市場と社会的平等を同時に追求するという、一種の社会主義的理想を具現化しています。
グローバル化の流れは、もはや止めることはできません。しかし、流されるか、泳ぎながら進むかは、我々次第です。国民国家という「船」は古びているように見えて、それでも人間が「共に生きる」ための最後の船でもあります。もしそれが沈めば、人々はただの“個”として、無限の波に飲み込まれてしまうでしょう。イカ男は思います。我々は時代の海を見つめながら進む力を持たなければなりません。誰がこの世界の舵を取っているのか。本当に我々が望む方向へ向っているのか。彼らに任せていいのか――それを見極める知力こそ、次の時代を生き抜く羅針盤になるはずです。