10. イカ男の名にかけて

以前、粒子追跡実験をした結果、天草海から移動する粒子を見て気づいたことがあった、とお話ししました。つまり、ケンサキイカが東シナ海南部から黒潮に沿って、いったん九州の西に位置する天草海まで北上したにもかかわらず、また鹿児島南方の黒潮までもどって、そのまま太平洋まで移動したのではないか、というアイデアでした。直感的にはありえないような気がしますが、粒子追跡実験の結果はその可能性があることを十分に示していました。

粒子追跡実験の結果(台湾北部から粒子を流した場合、7か月後の粒子分布)

 

実は粒子追跡実験をおこなう5年ほど前、すでに神奈川県の相模湾で漁獲されたケンサキイカを小田原の魚市場から入手し、平衡石を分析していました。太平洋沿岸でも千葉県よりの南であれば、ケンサキイカが釣れることをイカ釣りが好きな方ならご存じでしょう。たいていは小さいサイズですが、夏頃には大きな個体も釣れます。それを知ってわざわざ小田原から送ってもらったのです。

少々トリビアな話題になりますが、奥谷先生(東京水産大学名誉教授)から聞いたケンサキイカの世界デビューの経緯をお話しします。イギリスのチャレンジャー号が1872-76年の世界の深海探検周航の途中、1875年(明治8年)4月に横浜港に立ち寄りました。この時、市場で手に入れたものがケンサキイカのタイプ標本になりました。相模湾辺りの釣り人や漁師が「めっとう」と呼んでいる外套背長165mmの小型成熟型の個体です。原記載Loligo edulisは、W.E.Hoyleが1885年にAnnals of Magazine of Natural History に簡単な記載をし、後にチャレンジャーレポートの動物編(1886)に図付きで詳しい記載をした、ということでした。

閑話休題。相模湾の定置網で漁獲された大型のケンサキイカから平衡石を取り出し、輪紋を数え、Sr/Ca比を調べたところ、経験水温には2つの山がありました(Yamaguchi et al. 2020)。最初は高くて、次は低い山でした。同時期に調べた対馬東水道で漁獲された個体の経験水温の山は1つで、以前にお話ししたとおり、すぐに解釈ができましたが、相模湾の個体はまったく説明できません。ということで、しばらく寝かせておいたのです。

経験水温の変化(左は対馬東水道で漁獲された個体、右は相模湾)

皆さんはもうお気づきでしょうか。そうです、経験水温の最初の山は東シナ海の黒潮流域のもので、2つ目の山は四国沿岸から東海沖にかけての黒潮流域のものと考えれば、辻褄が合います。2つ目の山が小さいのが気になりますが、当時はまだ黒潮の大蛇行が発生していなくて、速やかに相模湾沖まで運ばれたのだと思われます。また、相模湾の水温は黒潮に比べるとかなり低いので、最後に経験水温が低下したのも当然でした。

太平洋沿岸の50m深海水温と海流(2014年8月上旬、気象庁HP

 

さらに、冬の間に天草海にチャージされた個体が、春からしだいに解放されて北と南に移動したのですから、春から夏に対馬東水道で漁獲されるケンサキイカと、少し遅れて夏に相模湾周辺で漁獲される個体の形態が似ているのも当然でした。

さらにさらに、ずっと以前、対馬東水道で漁獲されるケンサキイカは、夏になると減少してしまうので、唐津の料理店のなかには大分から活魚車で運んでいるという話を聞いて、とても不思議な気がしていました。しかし、天草海から大隅海峡を通って豊後水道に迷い込んだと考えればいいわけです。豊後水道の流れはとても遅いので、大分県沖にたどり着くころには十分大きくなっていたのですね。

これで謎はすべて、ではないですが、かなり解けてきました。さて、次に解くべく謎は何かな?

  • Tadanori Yamaguchi, Katsumi Takayama, Naoki Hirose, Michiya Matsuyama. The Sea of Amakusa playing the role of a distributor of swordtip squid (Uroteuthis edulis) migrating from the East China Sea to the east and west sides of Japan. Fisheries Research 225, 105475, 2020.

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