11. 最大の謎

イカ類の移動を考えるうえで、最大の謎があります。それは、イカは自力で移動しているかということです。具体的には、産卵のために特定の海域まで泳いで移動しているのか、です。多くの方は、当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、イカ男はさんざん考えた結果、どうも当たり前じゃないという結論に達しました。

 

まず、どうやって産卵場所の方向を知ることができるのかが謎です。たとえば、日本海のスルメイカは夏を過ぎると南下し、秋から冬にかけて対馬海峡で産卵するといわれています(Sakurai et al. 2013)。なぜ、南下するのか? それは南の海域のほうが高水温だから。しかし、どうやって南の海水温が高いと分かる? 今泳いでいる海域の微妙な温度差を感じて移動しているのだろう。イカは水温変化に敏感だ。しかし、明確な水平方向の水温変化は少なくとも数10㎞単位でしか確認できないし、そもそも水温変化は一定ではない。観測船を固定して精密な水温測定をすると、数値は常に0.1℃程度変動を続ける。むしろ水温変化に敏感であれば、どの方向に移動すればよいか分からなくなるだろう。そんなことはない、イカは我々がまだ知らない能力を使って水温差を感じ、産卵場所までたどり着いているはずだ。そ、そんな超能力みたいな話を持ち出したら科学じゃない。なにを言う、実際に北海道から標識放流したスルメイカが対馬海峡近くで漁獲されている。むむむ。議論はこのあたりで行き詰まり、黙り込むことになります。

スルメイカの標識放流試験結果(坂口 2010)

イカ類に限らずあらゆる動物の行動に対する仮説には、人間中心的な考えが反映しているとイカ男には思えます。現在、私たちはGPSによる位置情報を使って自分の思い通りの場所へほぼ最短の時間でたどり着くことができます。行く先の天候はもちろん、宿や食事場所、観光地などの情報をあらかじめ入手できます。ただ、これはヒトの歴史の中でもごく最近のことで、たとえばコンパスや地図がなかった時代の長距離の移動には、莫大なコストを払いました。ヒトが約5万年前にアフリカ大陸を出て、南アメリカ大陸に約1万5千年前に到達したとすれば、おおよそ3万5千年を要しています。現在のイスラエルからチリの南端まで、グーグルマップで妥当な陸上での最短距離を測ったところ約3万キロでした。とすると、年間1㎞以下の移動になります。当時のヒトにどれほど移動の必要性があったのかは分かりませんが、「野生」のなかで移動する、分布を広げていくことの困難さをうかがい知ることができます。おそらくこの3万年間の旅程のなかで、無数の集団が山道に迷い、飢え、大型哺乳類に襲われ、死に絶えたと想像できます。

ヒトの移動経路略図(グーグルマップ)

イカ類はほぼ1年未満で寿命を終えるので、ヒトのように学習した経験を次の年に活かしたり、次の世代に伝えることはできません。また、海洋生物である彼らには、太陽や星の位置を目で確かめることも不可能でしょう。さらに、地磁気は数十万年単位で反転することから、これも使えそうにありません。

 

さてさて、スルメイカはいったい何を頼りに日本海を南下するのでしょうか?

 

  • Sakurai Y, Kidokoro H, Yamashita N, Yamamoto J, Uchikawa K, Takahara H.  Todarodes pacificus, Japanese Common Squid. In Advances in Squid Biology, Ecology and Fisheries. 2nd ed by R. ed by G. Rosa Pierce, R. O’Dor Eds., Nova Science Publishers, Inc., New Yolk, 249–271, 2013
  • 坂口健司 北海道周辺海域で標識放流されたスルメイカの移動 北海道立水産試験場、77号、45-72、2010年
  • デイヴィッド・ライク『交雑する人類』NHK出版 2018年
  • 菅沼悠介『地磁気逆転と「チバニアン」』ブルーバックス 講談社 2020年

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