2. 100%は

竹内薫氏の新書『99・9%は仮説』は秀逸なタイトルです。これを見て、自然科学の99.9%は仮説で成り立っていると理解すれば、99%以上この本の内容を理解していることになり、買う必要もないくらいです。さて今から35年前、イカ男が大学に入った頃は、ニュー・アカデミズムという流行の真っただ中で、理学部の食堂でも、「共同幻想」とか「脱構築」とか現代思想のキーワードが飛び交っていました。田舎から出て来たばかりの科学少年は立ちすくむばかりでしたが、それでも自然科学に〈真理〉なるものはない、ということくらいは分かりました。しばらく理系科目をまじめに勉強する気になれず、カントの批判哲学やフッサールの現象学に関する入門書などを読んでいました。現象学によると、自然科学は99.9%どころか100%仮説です。

I.カント(どことなくヨーダに似てますね)

ではなぜ、自然科学なんかがあるのかといいますと、どうやら起源は中世キリスト教神学にあるようです。この世は〈神〉が創造したのだから、この世を知ることによって〈神〉の御心を知ることができる。人間には〈神〉からいただいた〈理性〉があるから、〈理性〉を用いてこの世の摂理を理解できるはずだ、というわけです。ところが、19世紀になると、〈神〉を信じる人が少なくなって、とうとうニーチェが〈神〉の死を宣言してしまいました。その後、〈神〉がいなくなったポジションに科学的〈真理〉が入りました。アインシュタインの『相対性理論』あたりまでは、そのようなものが信じられたようですが、量子力学の時代になるとその言葉じたい聞かれなくなりました。〈真理〉がなくなった自然科学は、産業革命以降の近代技術と結びついて、文字通り世俗化していきます。つまり、「科学技術」として役に立てばいいことになりました。

〈神〉の死後

仮説はそれが〈真理〉かどうかではなく、「使えるかどうか」で評価されます。つまり、自然現象を包括的に、しかもできるだけ単純に説明できるか、未来を演繹的に予測できるか、です。一般的に使われていた仮説(通常科学)が、より多様な現象を説明できなくなったり、新しい高精度の測定機器のデータと合わなくなると、「危機」が訪れます。しばらくは「補助的な仮説」で乗り越えることができますが、ついには「革命的な仮説」が登場します(異常科学)。時が経つにつれて、これを支持するデータが多くなり、この仮説が「中心的な仮説」として広く受け入れられるようになります。これがクーンのいう「パラダイムシフト」で、例えば、地動説、進化論、プレートテクトニクス理論などがありました。イカ男はいつも自分がその時代に生きていたら、その理論(仮説)を受け入れることができるだろうかと自問します。正直言って、「地球が丸い」こともいまだに納得できないくらいですから、本当に研究者を名乗っていいものかと思います。皆さんはご自分で見つけた観察結果から地球が丸いこと、その地球が太陽のまわりをまわっていることを推論し、心の底から納得することができますか? もしできないようなら、新しい仮説を考えるしかないですね。

不連続なパラダイムシフト
  • 竹内薫『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』光文社新書、光文社2006年
  • 伊東俊太郎『近代科学の源流』中公文庫、中央公論新社2007年
  • 野家啓一『科学哲学への招待』ちくま学芸文庫、筑摩書房2015年

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