13. お金の起源?

市場経済とは、市場を通じて財やサービスの取引が自由に行われる経済のことで、それに対立する概念は計画経済といわれています。第二次世界大戦後は、どちらの経済体制をとるかで自由主義経済陣営と社会主義経済陣営に分かれ、長く対立しました。現在では、純粋な社会主義経済体制をとる国はなく、また自由主義陣営の中からは公営事業の民営化やグローバル化を前提とした新自由主義経済を志向する国々が現れ、その問題点が指摘されています。

 

実は、これらの経済概念には入らない非市場経済という形態があり、制度の例としては互酬や再配分などがあります。これらは、もはや社会慣習的な行為になっているので、通常、経済的な機能としては意識されません。たとえば、互酬は、ある集団内で財やサービスが行ったり来たりすることによって、相互に依存する関係を作ります。簡単に言えば、困っている知り合いを手伝ってあげたり、何かの節目に贈り物を上げたりすることですね。中沢新一氏によると、いわゆる商品でない贈り物(贈与)の特徴として、以下の3点が挙げられるそうです。

1.贈り物を媒介として、前の所有者の人格や感情が伝達される。

2.友情や信頼の持続性を表明するため、お返しには一定の間隔をおく。

3.贈り物では、交換価値(例えば金額換算)という思考が通常は排除される。

 

一方、マルセル・モースは、贈与をめぐる3つの義務を提示しています。

1.贈り物を与える義務: 動機は様々だが、先例や慣習といった暗黙の圧力や、受贈者が自分と他の贈与者候補を比量した時の結果を恐れる心理から発生する義務感によって贈られる。人は意識的、無意識的に受贈者から見返りを回収することを期待する。

2.それを受ける義務: 贈り物を受けることで債務意識が生じる。しかし、贈り物を拒むことは人間関係を築く上で禍根を残すこともある。そのため、贈り物を受けることは関係を維持するための基本的なマナーとなる。

3.お返しの義務: 貸しや借りを作ったままでは双方が落ち着かないのでお返しをする。こうした受贈者に生じる返礼の義務感を互酬性とも呼ぶ。

 

少し前に、「お・も・て・な・し」ブームがありましたが、イカ男は「ウラはあっても、オモテなし」と心の中で呟いていました。いくらきれいごとを言っても、やっぱり下心は隠せません。贈与にお付き合いの義務感があったり、何らかの意図があるのは仕方がないことです。

 

さて、貨幣の起源ですが、これについては物々交換を仲介するモノだったと説明されてきました。もちろん、本当のことを知っている人がいるわけがないので、真偽は分かりませんが、なるほどそう考えると便利な発明品だなあという気はします。しかし、最近、貨幣の起源は「記帳」だったとする説が注目を集めています。フェリックス・マーティンによると、例えば、ミクロネシア・ヤップ島で見つかった石のお金「フェイ」は直径が最大で4メートル弱もあり、当然運べないのですが、取引は記録され、その内容がフェイの所有権の根拠になっています。こうした仕組みが発展し、現在の貨幣制度につながったそうです。

 

そこでイカ男はこんなことを想像しました。昔々、100人程度のムラがあったとします。全員が顔見知りで、まさに原始共同体の生活を送っていたことでしょう。彼らはそれぞれに得手不得手があり、自由に処分できる物にもそれなりに違いがあったと思います。なので、ある人は別の人から必要な物を借りたり、もらわなければならなかった。同じムラの者同士であれば、たいていは要望に応えてくれたと思われます。このときはまだ貨幣などないし、記録もしていませんでした。なんとなく「貸し1つね」みたいな調子だったのかもしれません。いまの我々の日常でもこんなことはよくありますね。ただし、このようなやり取りが村全体で均等に発生するとは思われません。おそらく、貸しを作る人は貸しを作り続けるでしょうし、借りを作る人は借りを作り続けるでしょう。貸し借りだけの関係でも、格差が生じるはずです。ある閾値をこえると、寛容な貸し手の方も、しだいに不公平を感じてきます。そこで、ムラ人は貸してくれた内容を象徴する何かを、たとえば貸し手の家の前にドスンと置いたのかもしれません。それが巨大な石のオブジェだったとしたらどうでしょう。特に大きな貸しの内容は石に刻むこともできます。つまり、この象徴的な物体は、原始的な貸し借りの記録、「記帳」だったと考えられるわけです。そのうちに、最も多く貸しをつくった人物がムラの長となり、やがてその象徴物はレガリアとなりました。小さいムラが次第に成長して大きいムラになると、原始共同体内部の関係も複雑になり、あいまいな貸し借りの記録ではなく、個人単位の貸し借りの記録が必要になり、レガリアを模した貨幣がつくられたと考えられます。

 

つまり、時空間的に安定した共同体内であれば、金銀でなくとも、貸し借りの記録ができるモノで、偽造がそれなりに困難であれば、どのような素材であっても貨幣になりうるということです。単なる石や貝殻、青銅などで決済が可能ということは、その共同体の構成員が信頼関係で結ばれているからとも言えます。よって、通貨発行の条件は、共同体内部における信頼関係ともいえます。逆に、十分な信頼関係がない人々と交易する場合は、本当に価値があると思われる金銀などの希少鉱物が必要になります。なので、金銀などが必要になるのは、異なる共同体間で交易する、いわゆる「グローバル経済」の場面ということになるのです。しかしながら、おそらく世界史的な経緯から、国内経済に必要な貨幣と、グローバル経済に必要な金銀など(または金本位制度)の性質を混同し、多くの人はお金と金を同一視するようになってしまいました。

 

  • 中沢新一 『愛と経済のロゴス』 講談社(カイエ・ソバージュ III) 2003年
  •  マルセル・モース 『贈与論』 筑摩書房(ちくま学芸文庫筑摩書房) 2009年
  •  フェリックス・マーティン 『21世紀の貨幣論』 東洋経済新報社  2014年

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