15. 温暖期の豊漁、そして
1990年以降、いわゆるレジームシフトによって寒冷期から温暖期に移行し、日本海における対馬暖流、特に第3分枝の勢力が回復します。この結果、対馬海峡を起源とする海流は寒冷期にくらべて広角に広がるようになりました。スルメイカの稚イカは第1分枝や第2分枝だけでなく、第3分枝によって広がります。なので、第1分枝と第3分枝にはさまれた対馬海盆を通過するイカが増え、この海域に特有の渦構造にトラップされて夏を越す個体も増加したはずです。したがって、夏から秋にかけて、対馬海峡に回帰する親イカの数も増えました。
対馬暖流第3分枝が回復すると、朝鮮半島の南岸や東岸の水温も上昇し、対馬海盆➡朝鮮半島南東沿岸➡対馬海峡西水道➡東水道という回帰経路(上図)が形成され、通り道にあたる韓国のEEZ(排他的経済水域)での漁獲量は増加しました。西水道での成熟と産卵が可能になると、さらに多くの稚イカが第2分枝や第3分枝によって輸送されます。寒冷期から温暖期への移行の過程で、韓国のスルメイカ漁獲量が急増した背景にはこのような要因があったはずです。また2000年以降、北朝鮮の海域で中国漁船が大量のスルメイカを漁獲するようになったのは、第3分枝によって多くのイカが日本海の北西部に輸送されたためでした。一方、第2分枝以南に漁場が形成される日本では、海流によるスルメイカ資源の配分率が減少してしまいます。このため全体量が増えたにもかかわらず、漁獲量は伸び悩みました。ただし、太平洋側で漁獲される冬生まれ群の漁獲は急激に増加しました。産卵場所が対馬海峡から五島以南まで広がり(下図)、黒潮によって運ばれる幼生や稚イカが増えたためです。
このような温暖期の恩恵は、日本海で漁獲される秋生まれ群については、だいたい2005年まで続きました。当時は温暖化が進んでも、せいぜい産卵場所が北に移って産卵時期が遅くなり、漁場が北海道の北部へ広がるくらいで、漁獲量はそのまま維持されると信じられていました。イカ男もこの考えに特に異論はありませんでした。実際に、現在の仙台湾や三陸海域で起こっているケンサキイカの漁獲量増加は、温暖化による黒潮の北偏が原因だと考えられます。
このブログでは温暖期においてスルメイカの漁獲量が増加した時期を温暖期第Ⅰステージ、減少した時期を温暖期第Ⅱステージとよぶことにします。そしてとりあえず、この境となる年を2005年とします。温暖期第Ⅱステージの特徴は、日本と韓国の漁獲量がほぼ同じような比率で減少していることです。一方、北朝鮮海域で漁獲している中国の漁獲量は推定値ではありますが、それほど大きくは減っていません。これらのことから、多くの人は中国の過剰漁獲でスルメイカの資源量が減少したと考えました。一時イカ男もこの説に賛同しましたが、今は少し違います。もちろん、まったく影響がなかったとは言いませんが、実は2000年前後の日本と韓国の漁獲量も大したものです。スルメイカは年魚ですから、これほど大量に漁獲したら次の年の漁獲に確実に影響したはずです。しかし、ほぼ10年間影響は見られませんでした。
やはり、過剰漁獲によって資源が減少したというシナリオは少々短絡的のように思えます。さて、次回はいよいよこの謎に迫っていくことにします。