21. 緊縮財政からの出口戦略
財務省解体を要求するデモが各地で起こっているようです。マスメディアはほとんど報道しませんが、ネット上ではデモの動画が盛んにアップされています。
解体とはいっても、財務省を無くしてしまうというのではなく、再編成することだと思います。つまり、歳入と歳出を担当する部署を別々する。多くの国では両者は独立しているそうです。そうしないと、組織の権力があまりに大きくなってしまうからです。
デモに参加している人びとの多くは、税は財源ではなく、過剰な負担は国民の生活を圧迫するだけであること、デフレ脱却には政府の積極的な財政出動が必要であることをよく理解しているのでしょう。実際、財政規律が厳しすぎて必要な財政出動がおこなわれず、国民の生活はずいぶん貧しくなってしまいました。
今年7月に行われる参議院選挙にむけて消費税減税を公約にかかげる政党がでてきて、その是非についての議論が活発化しています。最大の論点は、減税で生じる歳入減をどうするかということです。その分歳出も減らすか、別の税源をさがすか。もちろんそのような必要はありません。国庫債券(国債)を発行するだけです。当たり前ですが、国債はいわば政府の赤字なので、国民に返済義務はありません。赤字は政府が日本国消滅の日まで持ち続ければよいのです。
残念ながら、日本でこの考え(現代貨幣理論:MMT)はまだ少数派です。なぜなら、アカデミズムやマスメディアの多くがガン無視をきめていて、まともに議論しようとしないからです。なので、ごくフツウの一般人にとってこの経済理論はなにか胡散臭いように思えてしまいます。5年前のイカ男もそうでした。しかし、ここ数十年日本で見てきた経済の状況を冷静に振り返ると、とても合理的な理論だと思います。
もし、消費税減税の議論をすすめて、税は財源ではないことが広く理解されるようになったら、劇的な変化が日本社会に起こるでしょう。財務省解体デモは正当性を得て、全国各地で頻発し、さらに激しくなるでしょう。そして財務省はもちろん、財政規律派の政治家やマスメディアは国民の批判にさらされるはずです。なにしろここ30年、国民が耐え忍んだ苦労は程度の差こそあれ少なくなかったはずですから。
財務省の職員や財務省と深いつながりのある政治家は、緊縮財政を続けた結果、国民生活を悪くしたとの自覚があればあるほど、その罪を認めたがらないかもしれません。その結果、減税を頑なに拒否し続けるかもしれません。本来民主制の国家であれば、多数の国民の声が経済政策に反映されるべきです。しかし、それが実現されないとなると、最後の手段として選ばれるのは暴力、つまりテロです。2022年7月に安倍晋三元総理大臣が暗殺された事件は、犯人自身の家庭環境に対する恨みから、言いがかりに近いかたちで起こってしまいました。1936年2月におこった二・二六事件では積極財政派だったはずの高橋是清大蔵大臣がなぜか暗殺されています。つまり、テロを起こすような人たちには、冷静な状況分析ぬきで、とりあえず目立っている人物をターゲットにする傾向があります。なので、有名な人たちは問答無用で危険にさらされることになるでしょう。このような昭和初期の惨劇を防ぐためには、政界、官僚、マスコミの三者が協調して、緊縮財政からの緩やかな出口戦略をたてる必要があります。
かりに国会で財政法第5条を改正し、スムーズな積極財政への移行ができたとしても、問題は残ります。税は財源ではないことが広く知られたとき、税金を払いたくないという声がきっと出てくるはずです。公的な財やサービスは国債発行でまかない、徴収した税金はただ消去するだけなのだから、なぜ税金を取られなければならないのか。当然の疑問です。しかし、それでもなお税金は必要です。税金には富の偏りを是正し、特定の消費活動を抑制し、景気を自動的に安定化して、円を日本国の通貨単位として認識させるなど多くの役割があります。要するに、日本国民が協調的に安定して生活を続けるための、いわば紐帯の役割をしているのです。したがって、義務教育の段階から税の役割について正しく教える必要があります。
税は財源であるという仮定は、インフレを前提とした経済では有効な理論として機能してきました。しかし、デフレになったとたん、機能しないどころか、状況を悪化させました。30年たって、ようやく税は財源ではないと仮定した理論が現れ、こちらの方がインフレを含めて経済全体をよく説明できることがわかりました。このような、いわゆるパラダイム・シフトは自然科学の分野ではしばしば起こることです。たとえば、化学では、酸化は酸素を得るという定義から水素イオンを失うという定義(アレニウス)へ、そして電子を失うという定義(ブレンステッド)に変わりました。また、ニュートン力学はアインシュタインの一般相対性理論へ拡張されました。社会科学においても、社会状況に応じて理論の前提が変わり、理論そのものも変化、拡張されてしかるべきです。
しかし、パラダイムが変わるとき、旧体制からの抵抗はもちろん、社会的に大きな混乱が起こるのは避けられないでしょう。ただ我が国は明治維新のときも、江戸城の無血開城など時の指導者の英断によって最小の混乱で乗り切ってきました。令和でもできるはずです。皆でこの国難を乗り切りましょう。
- 『財政赤字の神話 MMTと国民のための経済の誕生』ステファニー・ケルトン(2020) 株式会社早川書房