9. 天災とサイエンス

日本は気象学的にも地球物理学的にも極めて特殊な環境に支配されている。よって、国民は天変地異に脅かされることを一日も忘れてはならないはずだ。近代化以前は、自然に対してきわめて従順であり、自然に逆らうことは行わなかった。過去の経験を大切に保存し蓄積して、その教えを忠実に守ってきた。しかし、文明が進むにつれ、自然を征服しようとする野心が生まれた。今や日本には道路網や通信網が首都圏を中心に張りめぐらされ、全体がいわば一つの高等な有機体である。万が一、中心部に故障が生じれば、その影響はたちまち全体に波及するだろう。つまり文明が進むほど、天災による損害の程度も累進する傾向にあるのだ。現在の東京一極集中は官僚的、政治的、経済的な立場のみを重視した結果から生まれた状況である。研究者や学者の多くがその危険性を予想してしばしば当局と国民に警告を与えて来たが、当局は目前の政務に追われ、国民はその日の生活に忙しくて、そうした忠言に耳をかす余裕がなかった。もちろん、隣国の脅威への対策も必要だが、さらに強敵である天然災害に対して、日常から国民一致協力して科学的な対策を講ずる必要がある。

 

上の文章はイカ男のオリジナルではなく、昭和9年(1934年)に寺田寅彦が書いた『天災と国防』という随筆をアレンジしたものです。若干読みやすくし、「東京一極集中」という語句を加えはしましたが、骨子は同じです。寺田は大正12年(1923年)に発生した関東大震災と、その後に起こった北陸や近畿での台風災害や水害をふまえてこの随筆を書いたようです。しかし、まったく古びた内容ではありませんね。阪神淡路大震災や東日本大震災の後に読んでも、心に刺さる内容だったでしょう。そして、能登半島地震が2024年の元日に発生し、関連死をふくめ災害は現在進行中で、被災者の救護や避難が喫緊の課題になっています。

 

マグニチュード9.0を記録した2011年の東北地方太平洋沖地震では首都圏でも震度5弱の揺れを観測しました。高層ビルが左右に揺れる衝撃的な映像から、高層建築物の問題点が検証され、耐震補強の重要性とともに、被災時の避難や救助、被災後の機能復旧についても議論されたのを記憶しています。その結果、特に臨海部の高層マンションの購入は敬遠され、より安全な地域への関心が高まったような気がします。しかし、現在では「タワマン」と呼ばれる超高層マンション(高さがおよそ60m以上)への需要が高まり、積極的に建設される状況になっています。件の大地震から10年ほどでなぜこのような変化が生じたのか。東京オリンピックによる建設景気がきっかけであるように思えるのですが、日本人特有とされる「喉元過ぎれば」的な物忘れも大きく影響しているのかもしれません。

 

では、日本人は他民族に比べて健忘症の傾向が強く、低能なのでしょうか。もちろん、そうではありません。寺田も言及しているように、日本列島は多種多様な自然災害に見舞われる運命を背負っています。梅雨による水害や台風、豪雪による被害、または空梅雨による水不足など、毎年気にかけなければならない天災から火山噴火や地震、津波のように数十年から数百年、あるいは数千年の単位で警戒しなければならない天災もあります。政府もマスコミも多くの国民も短周期的な天災への対応が忙しくて、長周期的な天災への対応が間に合わないのです。そこで寺田はこう続けます。「吾々も昆虫と同様明日の事など心配せずに、その日その日を享楽していって、一朝天災に襲われれれば、綺麗にあきらめる。そうして滅亡するか復興するかはただその時の偶然の運命に任せるということにする外はないという捨て鉢の哲学も可能である」。

 

サイエンスはもともと神が創造した自然の摂理を理解したいという欲求から始まった思考方法でした。この考え方が今日まで非常にうまくいった背景には、ヒトの大脳前頭前野が推論するという役割を担っていることが大きかったとイカ男は考えます。つまり、我々は感覚器官からの情報による「いま・ここ」に限定された認識を超えて、理性の推論によって認識の時空間を拡張できる生物種だったのです。他の生物はもちろん、他者よりも拡張された正確な推論が可能であれば、より周到な準備で事に対応することができます。サイエンスは知的好奇心を満たしたり、お金儲けをしたり、権威的あるいは権力的なパワーを身にまとうためだけのものではなく、第一義的には我々の安全と安心をより確かにするためにあるはずです。捨て鉢の哲学では、あまりにもったいないではありませんか。

 

現在の日本の状況は戦前と酷似しているという評論があります。経済や政治の状況、国際関係だけでなく、地震活動も似てきたようです。その意味でも、災害と国防との関係をいま一度深刻に考えなければならない。次の東海・東南海・南海、首都直下型地震や富士山爆発はもはや国家の存亡にかかわる途轍もない大災害であり、もはや反省や教訓となるレベルではありません。「日本国」に次の次はないかもしれないのです。

 

  • 寺田寅彦『天災と日本人 寺田寅彦随筆選』山折哲雄選 角川ソフィア文庫 平成23年

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